広島市議会 2022-02-15 令和 4年第 2回 2月定例会−02月15日-04号
被爆建物である旧日本銀行広島支店は,平成12年の広島市の重要文化財指定後に,日本銀行から無償貸与を受け,文化芸術活動の発表の場として活用し,施設の維持管理を行ってきました。 旧日本銀行広島支店の保存について,このたびの予算では,国の重要文化財の指定に向けて,文化財の価値を高めるための復原工事を実施する費用が計上されております。 そこでお伺いいたします。
被爆建物である旧日本銀行広島支店は,平成12年の広島市の重要文化財指定後に,日本銀行から無償貸与を受け,文化芸術活動の発表の場として活用し,施設の維持管理を行ってきました。 旧日本銀行広島支店の保存について,このたびの予算では,国の重要文化財の指定に向けて,文化財の価値を高めるための復原工事を実施する費用が計上されております。 そこでお伺いいたします。
新型コロナウイルス感染症対策,急傾斜地崩壊対策,河川・道路改良,都市計画,被爆建物の保存と活用。皆さん,振り返ってみてください。行政のスピード・業務の質は市民からどのように評価されているのでしょうか。 また,先般,新型コロナウイルス禍でテレワークやリモート化によって東京一極集中化が鈍化する中で,広島県の転出超過が都道府県で最多の7,159人だと報道がありました。これはなぜでしょうか。
被爆建物は被爆という歴史的な事実や原爆被害の凄惨さを今に伝える物言わぬ証言者であり,失われてしまうと二度と取り戻せない貴重な財産であることから,広島市は平成5年度に広島市被爆建物等保存・継承事業実施要綱を策定し,爆心地から5キロメートル以内に現存する被爆建物を登録し,その保存・継承に取り組んできました。
被爆建物だけでなく,侵略戦争の加害の歴史を語る建物としても残してほしいとの市民社会の声が,広島県を動かしました。国も所有する1棟の建物調査を実施する方針を打ち出し,全棟の保存に向けて一歩前進しています。そこで,被服支廠の活用について提案いたします。
一つ目は,現在,広島市は,袋町小学校平和資料館と本川小学校平和資料館を含む被爆建物等について,国の史跡指定を得るための基礎調査を行っています。本市が国の史跡指定を目的に進めている被爆遺跡の基礎調査の内容は,どのようなものかお答えください。あわせて,国の史跡指定を受けた場合,どのような利点があるのかについてもお伺いします。
旧陸軍被服支廠は,議会から,広島市の所有ではないが,被爆遺構として後世に残し,伝えていくべきであり,全棟保存と利活用の要望が出されており,これに対して市は,被爆建物は,被爆という歴史的な事実や原爆被害の凄惨さを今に伝える物言わぬ証人であり,失われてしまうと二度と取り戻せない貴重な財産であることから,所有者の意思を尊重しつつ,できる限り保存・継承していただくよう要請している,旧陸軍被服支廠についても,
我が会派の西田議員が質問いたしました旧広島陸軍被服支廠についてですが,この建物は世界最大級の被爆建物であり,また広島への原爆投下当時,軍需工場という戦争の加害と被害という両面の歴史を持ち合わせた世界でもまれな建物で,この建物の保存・利活用について,国・県・市の連携を訴えたわけですが,ぜひとも国・県・市との連携で,長崎のように旧広島陸軍被服支廠も含めた被爆遺構群としての史跡の指定が進むように考えますが
また,本年1月23日の衆議院本会議で,公明党斉藤幹事長は,広島・長崎への原爆投下から今年で75年を迎えることに言及,広島に残る最大級の被爆建物,旧陸軍被服支廠の保存に向けた支援を求めたことに対し,当時の安倍首相は,広島県の議論を踏まえて,国としてしっかり対応すると答弁されました。
今年は8月5日に、公明党山口那津男代表ほか公明議員が、広島市南区の被爆建物、旧陸軍被服支廠を視察されました。 今年、被爆75年の節目であります。私ごとではありますが、議員生活20年を迎えるに当たり、そして私も長崎出身の原爆2世であります。縁あって広島の地に来て45年以上になります。この広島で毎年、原爆の日に手を合わせ、平和の行動をしてきました。
今広島の被爆建物である被服支廠の保存、活用について非常に話題になっておりますけれども、当初、耐震性がないという理由で、県はほとんど解体すると、その方針を議会の人たちも承認したようでございます。その後、いろんな方々から、これはぜひ残していくべきだという強い要望が湧き上がって、県のほうも再度検討に入られたようでございます。
広島市に残る被爆建物、旧陸軍被服支廠につきましては、昨年12月に4棟のうち3棟を所有する広島県が老朽化で耐震性に問題があるとして、そのうちの2棟を解体する計画を示されました。 その後、県民を初め多くの方々から見直しを求める声が上がるとともに、県議会からも解体の決定先送りの申し出があり、先般、県において解体の着手を1年先送りにすることが表明されたところでございます。
今広島の被爆建物である被服支廠の保存、活用について非常に話題になっておりますけれども、当初、耐震性がないという理由で、県はほとんど解体すると、その方針を議会の人たちも承認したようでございます。その後、いろんな方々から、これはぜひ残していくべきだという強い要望が湧き上がって、県のほうも再度検討に入られたようでございます。
建物自体が被爆建物として貴重であるとともに,峠三吉の「倉庫の記録」という詩で表現されたように,大勢の被爆者が収容され,まともな手当ても受けられないまま,想像を絶する苦痛と絶望の中で息絶えていった場所です。
爆心地から約2.7キロメートルの地点で被爆し,爆風により変形した鉄扉など,被爆当時のままの状態で残されていることから,平成5年度に広島市被爆建物等保存・継承事業実施要綱を策定し,それに基づき創設した爆心地から5キロメートル以内に現存する被爆建物を登録するための制度に初回登録された被爆建物の一つです。
また,被爆75周年の記念事業として,学都広島の歴史を象徴する被爆建物である広島大学旧理学部1号館関連の企画展を開催するとともに,平和記念公園内にある旧中島地区被爆遺構の展示公開を行います。
れんがづくりの建物は明治時代に建てられた旧陸軍施設で,被爆建物でもあります。私自身,郷土資料館には何度か足を運んだことがありますが,広島の歴史について意外な発見があったりもします。
また,被爆の実相を守り,広め,伝える取り組みの推進に向け,東京オリンピック・パラリンピック開催期間中に東京都内で原爆・平和展を開催するほか,本市内においては,学都広島の歴史を象徴する被爆建物である広島大学旧理学部1号館関連の企画展を開催し,市民や来広者に被爆の実相を深く理解していただける場を提供したいと考えています。
広島大学跡地にあります旧理学部1号館は被爆建物です。被爆の実相を伝えるために,ぜひとも未来に残していかなくてはならない建物です。加えて,建物を残すだけでなく,平和について教育・研究する知の拠点として,また,市民のコミュニティースペースとしても活用し,ハードの面でもソフトの面でも平和に貢献していくことが期待されております。
まず,被爆建物である旧日本軍防空作戦室跡の保存と公開についてお尋ねいたします。 広島が全滅に近い状態です,これは当時,比治山高等女学校3年生であった岡ヨシエさんが被爆後に広島城本丸の一角,半地下式の軍司令部防空作戦室の地下通信室に辛うじて残った軍事専用電話を使って,福山の部隊に被爆の実相を通信したメッセージであり,原爆による広島壊滅の第一報と言われております。